今日、雨が降ってきました。 空が暗くなり、フロントガラスを叩く雨音を聞いた瞬間、私の頭には条件反射のようにある言葉が浮かびました。
「あ、今日はグラウンド使えないな。室内練習場か?」
一瞬あとの、冷たい絶望。 「ああ、そうか。あいつはもう、部活に行っていないんだった」
染み付いた「送迎」のリズム
体というのは厄介なものです。 息子が不登校になっても、私の体内時計は「野球部の親」のままです。
夕方になれば、「そろそろ練習が終わる時間だ」とソワソワする。 雨が降れば、送迎の段取りを考えてしまう。
いつもなら、この時間は高速道路を走っていました。 泥だらけの練習着を着た息子を乗せ、汗の匂いが充満する車内で、「今日のバッティングはどうだった」なんて話しながら帰るのが日常でした。
でも今、私は一人でハンドルを握っています。 助手席は空っぽです。 汗の匂いもしない、静かすぎる車内が、今の私には耐え難いほど広く感じます。
カッパ姿の高校生への嫉妬
信号待ちで、カッパを着て自転車を漕いでいる高校生たちを見かけました。 顔を雨に濡らしながら、必死にペダルを漕いでいる。
以前の私なら、「雨の中、大変だなあ。風邪ひくなよ」と同情していたでしょう。 でも、今の私は違います。
父「いいなあ……」
彼らには「帰る場所」があり、「行くべき学校」がある。 ただそれだけの「普通」が、今の私には宝石のように輝いて見え、羨ましくて仕方がないのです。 他人の子供に嫉妬している自分が、情けなくて胸が苦しくなります。
高速道路の記憶
この高速道路は、息子の試合の応援で、県外まで何度も走った道です。 「甲子園」という夢に向かって、家族全員で走っていた道です。
あの頃は、送迎が大変だとか、遠征費がかかるとか、文句ばかり言っていました。 でも、今なら分かります。
「大変だったあの日々こそが、幸せだったんだ」
何も悩みがないことが幸せなんじゃない。 子供のことで必死に走り回れることこそが、親としての幸せだったんです。
いつかまた、隣に乗せたい
ワイパーが雨を弾く音だけが響く車内。 家に帰れば、部屋に閉じこもった息子と、気を使う妻が待っています。
今はまだ、この空っぽの助手席を見るのが辛い。 でも、いつかまた。 野球の帰りじゃなくてもいい。学校の帰りじゃなくてもいい。
「親父、腹減った」 そう言って、あいつが助手席に座ってくれる日が来るのを、私は待つしかありません。 雨の高速道路は、私の涙を隠してくれるようで、今日は少しだけスピードを落として帰ろうと思います。





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