最近、息子が地元の友人から心配そうな顔で「おまえ、なんかヤンキーみたいになったな」と言われました。
否定はできません。 格闘技の真似事をして身体を大きく見せたり、おもちゃのタバコ(シーシャ)をふかして煙を吐いてみたり。 それは、不登校という挫折で傷ついた弱い自分を守るため、彼が必死に纏(まと)った「強がりの鎧」でした。 親として、「そんなものは偽物の強さだ」と教えたい。けれど、今の私の言葉は彼には届きません。
しかし昨日、たった一通のLINEが、親が何ヶ月かけても剥がせなかったその鎧を、一瞬で解除させました。
親の100の説教より、友の1行
中学時代の親友とのやり取りです。 息子がいつものように強がって、シーシャを持っていることを話題に出したのでしょう。 「俺、こんなん持ってるぜ」 精一杯の虚勢を張る息子に対し、友達の返信は短く、冷徹で、そして最高に温かいものでした。
「そんなもん、捨てろ」
もし私が同じことを言ったらどうなっていたか。「うるせえ!」と怒鳴り、壁に新たな穴が空いていたことは想像に難くありません。 しかし、息子は違いました。
昨日の学校帰り、地元の薄暗いコンビニ。 彼は言われた通り、それをゴミ箱に叩き捨てました。 そして、その様子をスマホで動画に撮り、証明として友達に送信したのです。
返ってきた言葉は、「よしよし」。
まるで猛獣使いです。 その後、二人は夜遅くまでオンラインゲーム(マイクラ)に没頭していました。 私の部屋まで漏れてくるのは、暴れる音でも怒号でもなく、純粋にゲームを楽しむ笑い声。
「弱い自分」を隠すために悪ぶっていた息子が、友達の前では素直な「ただの高校生」に戻っている。 その笑い声を聞きながら、私は安堵で胸が熱くなりました。 持つべきものは、傷を舐め合うだけの仲間ではなく、ダメなことはダメだと叱り、更生を促してくれる本物の友です。 0円の友情が、またしても息子を救ってくれました。
「野球部は辞める」という言葉の裏側
そんな矢先、息子から不可解なリクエストがありました。
「散髪屋、予約しといて」
私の知り合いがやっている、昔ながらの理髪店です。 どんな髪型にするか妻が何気なくオーダーを聞くと、彼は事もなげにこう言いました。
「また坊主にする」
私は耳を疑いました。 彼は妻に対し、「野球部には絶対に戻らない」「辞める」と断言しています。 通常、厳しい規律から解放された元球児は、その反動で髪を伸ばしたり、茶髪にしたりしたがるものです。自由の象徴として、まず髪型を変えるのが定石です。
それなのに、自ら進んで「野球部の象徴」である坊主頭を選ぶ。 この矛盾した行動は何を意味するのでしょうか。
まだ正式な退部届を出していないから、周囲の目を気にして形だけ整えるつもりなのか。 それとも、本心ではまだ…魂はグラウンドに残っているのか。 口では「辞める」と言いながら、身体は「球児」であることを手放したくないのではないか。
散髪屋の匂いと親父の推理
あの理髪店には、独特の匂いがあります。 シェービングクリームの匂い、熱い蒸しタオルの湯気、そしてチョキチョキというハサミの音。 私自身も現役時代、試合の前にはそこで気合を入れ、鏡の中の自分と向き合っていました。 それは、男が覚悟を決める場所でもあります。
息子は明日、あの椅子に座り、バリカンで頭を丸めます。 青くなっていく自分の頭を鏡で見た時、彼は何を感じるのでしょうか。
「お前、本当は戻る気あるんじゃないか?」 「辞めるなら、好きな髪型にすればいいじゃないか」
喉元まで出かかったその言葉を、私はビールと共に飲み込みました。 今、それを問いただすのは野暮であり、危険です。 せっかく友達のおかげで「悪い鎧」を捨て、元の姿に戻りつつあるタイミング。ここで親が土足で心に踏み込めば、また殻に閉じこもるかもしれません。
親にできるのは、沈黙という応援だけ
私はただ黙って、散髪屋に電話を入れるだけです。
「あ、大将ですか。いつもの坊主でお願いします」
その予約の電話一本が、今の私にできる精一杯のサポートです。 明日、青くなった息子の頭を撫でた時、彼は何と言うだろうか。 そして私は、どんな顔をしてやればいいだろうか。
嬉しいような、真実を知るのが怖いような。 そんな複雑な親心を抱えながら、今は彼が自分で「次の打席」に向かうのを待つしかありません。
ヤンキーの鎧は捨てた。髪も丸めた。 あとは、その心に火がつくだけです。

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