【第29話】正月明け、動きが止まった息子。「見守る」と「放置」の違いに悩み、俺が出した答え。

正月が終わった。

あのおみくじの「大吉」の興奮も冷め、我が家にはまた、重苦しい日常が戻ってきた。

元旦には親戚と笑っていた息子。

しかし、連休後半になるにつれ、また部屋に籠もる時間が長くなった。

昼夜逆転気味のリズム。

ゲームの音だけが響く廊下。

「3学期から学校へ行く」

あの言葉は、嘘だったのか?

俺の中で、抑え込んでいた「不安」という名の猛獣がまた暴れだした。

目次

「見守る」という名の地獄

不登校の親なら、誰でも一度は言われる言葉がある。

「焦らせず、お子さんを見守りましょう」

俺もそうしようと決めた。

でも、問いたい。

「見守る」と「ただの放置」の違いは何だ?

何も言わず、腫れ物に触るように接し、昼まで寝ている息子を横目で見ながら仕事に行く。

これは「見守り」なのか?

それとも、親が楽をするための「放置(ネグレクト)」なのか?

3学期という「タイムリミット」

特に今は時期が悪い。

もうすぐ3学期が始まる。ここで行けなければ、**「留年」**という現実が確定する。

「見守っている間に、取り返しのつかないことになるんじゃないか?」

「俺が何もしないせいで、息子の人生が詰むんじゃないか?」

この恐怖で、夜も眠れなくなる。

おみくじで「大吉(病気は治る)」が出ても、現実の時計の針は止まってくれない。

親父ができる唯一の「攻めの見守り」

不安で押しつぶされそうな時、俺はある一つの事実に気づいた。

俺が不安なのは、**「息子が動かないから」**ではない。

**「もしダメだった時の『次の一手』を持っていないから」**だ。

息子を動かそうとするから苦しいのだ。

親がやるべきは、息子を操作することじゃない。

「最悪の事態(留年・退学)」になっても、「大丈夫、こっちの道があるぞ」と即座に言える準備をしておくことだ。

俺はこれを「攻めの見守り」と呼ぶことにした。

具体的な準備こそが、精神安定剤になる

俺は再び、机の奥にしまっていた**「通信制高校のパンフレット(ズバット)」**を取り出した。

転校させるためじゃない。

「今の高校にしがみつかなくても、こんなに楽しそうな学校がある」という事実を、俺自身が再確認するためだ。

• 今の高校に戻れたら、それが一番いい(プランA)。

• でも、もしダメでも、この「プランB」がある。

この資料が手元にあるだけで、不思議と息子を見る目が優しくなれる。

「起きろ!」と怒鳴りたくなる気持ちを、「まあ、いざとなれば別の道もあるしな」と飲み込める。

これが、「放置」と「見守り」の決定的な違いだ。

親が水面下で、命綱を用意しているかどうか。

新学期に怯える同志たちへ

3学期が怖いのは、子供だけじゃない。親だって怖い。

だからこそ、親は「武器(情報)」を持とう。

もし今、あなたが「見守る」という言葉に疲れ果てているなら、悪いことは言わない。

今のうちに「次の場所」の資料だけでも取り寄せてみてほしい。

それは決して「逃げ」じゃない。

どっしりと構えて見守るための、**親にとっての「精神安定剤(お守り)」**なのだ。

※俺が実際に救われた「お守り」はこれだ。入力1分で、親の心の余裕が手に入る

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