1月9日。昨夜の「修羅場」が嘘のように、息子は学校に行った。
朝、制服に着替え、黙って家を出て行った。不登校になってから1ヶ月以上。普通なら、赤飯を炊いて祝うレベルの「復帰」だ。妻は安堵の表情を浮かべていた。
だが、俺の心は違った。息子の背中を見送った瞬間、腹の底から湧き上がってきたのは、喜びじゃない。憎しみにも似た、ドス黒い怒りだった。
「お前、よく平気な顔で靴を履けるな」
昨夜、あいつは俺を殴った。蹴った。「学校にバラしたんか!」と濡れ衣を着せ、俺の胸にハイキックを入れ、タックルした。
俺は80キロあるから、体の痛みはない。でも、心はボコボコだ。
甲子園でどんな強豪校の選手とぶつかっても、痛いと思ったことはほとんどなかった。だが昨夜、60キロそこそこの息子から繰り出された拳の一発は、防具のない場所に真っ直ぐ突き刺さった気がした。殴られた場所は覚えていない。覚えているのは、殴られた瞬間の、あいつの目だけだ。焦点の合っていない、獣のような目だった。
あいつは、昨夜俺を殴ることで、自分の中の「不安」や「イライラ」を俺に全部吐き出したんだ。俺というサンドバッグを使って「デトックス」して、スッキリしたから、今日学校に行けたんだ。
そう思ったら、虫唾が走った。玄関で靴を履くあいつの後ろ姿を見ながら、俺は心の中でそう吐き捨てていた。妻は隣で「行ってらっしゃい」と、いつも通りの声をかけていた。俺は、何も言わなかった。喉まで出かかった言葉を、飲み込んだ。
「親をゴミ箱にするな」
「養ってもらっている」という自覚の欠如
喉元まで、言ってはいけない言葉が出かかっている。
「誰のおかげで飯が食えてると思ってるんだ?」
昭和の頑固親父のようなセリフだ。でも、これは真理だと思った。彼は自分で1円も稼げない。住む家も、着る服も、昨日の風呂も、全部俺が働いた金だ。
社会に出れば、スポンサー(金を出してくれる人)を殴ればどうなるか。契約解除、即追放だ。彼は「親子」という甘えの中で、社会では一発アウトの重罪を犯している。
この怒りを、俺は妻には見せなかった。妻の表情が安堵に緩んでいるのを見て、水を差すのが怖かったのかもしれない。それとも、この黒い感情を口に出せば、自分がとんでもなく狭量な父親だと認めることになる気がして、怖かったのかもしれない。理由は自分でもよく分からない。ただ、その日一日、俺はずっとこの怒りを一人で抱えていた。
「分別」を教えるのが最後の教育か
学校に行ったことは評価しよう。でも、昨日の暴力はチャラにはならない。
昨夜、あいつが学校の仲間に「お前、家で暴れてるんやろ?」「親に暴力振るったらしいな」と言われて、そのはけ口を俺にぶつけてきたことは分かっている。あいつも、あいつなりに追い詰められていた。頭では理解できる。
それでも、もし今日、彼が帰ってきて、何事もなかったかのように振る舞ったら、俺は許せるだろうか。いや、許さない。
俺はもう、彼を「守るべき子供」として見るのをやめようと思った。一人の「不義理な男」として見る。次に手を上げたら、警察を呼ぶ。あるいは、家から叩き出す。「社会の恐ろしさ」と「仁義」を教えること。それが、彼に甘い顔を見せてきてしまった俺ができる、最後の教育かもしれない。
この怒り方には、覚えがある
正直に書く。この「憎しみ」の感覚には、どこか既視感があった。
殴られても言い返せず、ただ耐えて、後になってじわじわと腹の底で恨みだけが澱のように溜まっていく。この感覚を、俺は昔どこかで経験している気がした。それがどこの記憶なのか、その日はまだ分からなかった。ただ、妙に胸がざわついた。
この違和感の正体に、俺が気づくのは、実はこの翌日のことになる。それはまた別の話として、いつか書こうと思う。
今はまだ、靴を履くあいつの後ろ姿を睨みつけていた、あの朝の自分のことしか書けない。喜べなかった自分を、今もまだ、完全には許せていない。
夜、息子は普通に帰ってきた。「ただいま」も言わず、そのまま2階へ上がっていった。俺は「おかえり」も言わなかった。ただ、階段を上がる足音を聞きながら、リビングでずっと同じ場所に立ち尽くしていた。この一日、俺と息子は、一度も目を合わせなかった。


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