【第33話】息子が学校に行った。でも俺は喜べなかった。湧き上がってきたのは「安堵」ではなく「憎しみ」だった。

1月9日。 昨夜の「修羅場」が嘘のように、息子は学校に行った。

朝、制服に着替え、黙って家を出て行った。 不登校になってから1ヶ月以上。 普通なら、赤飯を炊いて祝うレベルの「復帰」だ。 妻は安堵の表情を浮かべていた。

だが、俺の心は違った。 息子の背中を見送った瞬間、腹の底から湧き上がってきたのは、喜びではない。 **「憎しみ」**にも似た、ドス黒い怒りだった。

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「お前、よく平気な顔で靴を履けるな」

昨夜、あいつは俺を殴った。蹴った。 「学校にバラしたんか!」と濡れ衣を着せ、俺の胸にハイキックを入れ、タックルした。

俺は80キロあるから、体の痛みはない。 でも、心はボコボコだ。

あいつは、昨夜俺を殴ることで、自分の中の「不安」や「イライラ」を俺に全部吐き出したんだ。 俺というサンドバッグを使って「デトックス」して、スッキリしたから、今日学校に行けたんだ。

そう思ったら、虫唾が走った。 「親をゴミ箱にするな」

「養ってもらっている」という自覚の欠如

喉元まで、言ってはいけない言葉が出かかっている。

「誰のおかげで飯が食えてると思ってるんだ?」

昭和の頑固親父のようなセリフだ。 でも、これは真理だ。 彼は自分で1円も稼げない。住む家も、着る服も、昨日の風呂も、全部俺が働いた金だ。

社会に出れば、スポンサー(金を出してくれる人)を殴ればどうなるか。 契約解除、即追放だ。 彼は「親子」という甘えの中で、社会では一発アウトの重罪を犯している。

「分別」を教えるのが最後の教育か

学校に行ったことは評価しよう。 でも、昨日の暴力はチャラにはならない。

もし今日、彼が帰ってきて、何事もなかったかのように振る舞ったら、俺は許せるだろうか? いや、許さない。

俺はもう、彼を「守るべき子供」として見るのをやめようと思う。 一人の「不義理な男」として見る。

次に手を上げたら、警察を呼ぶ。 あるいは、家から叩き出す。 「社会の恐ろしさ」と「仁義」を教えること。 それが、彼に甘い顔を見せてきてしまった俺ができる、最後の教育かもしれない。

※親父のメンタルが憎しみで黒く染まりそうな時、俺を正気に戻してくれるのは、この「最後の切り札(資料)」の存在だ。

>>「もう知らん、勝手にしろ」と突き放す前に。親父が確保しておくべき「プランB」

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