1月10日。俺は、自分の人生を揺るがす「ある事実」に直面し、スマホを握りしめたまま涙が止まらなくなった。
きっかけは、X(Twitter)でのあるインフルエンサーとの対話だった。息子の家庭内暴力、そして妻からのモラハラに悩む俺に、彼女はこう問いかけた。
「もしかして、子供時代、誰かが誰かを一方的にサンドバッグにする家庭で育っていませんか?」
その言葉を見た瞬間、封印していた記憶の蓋が吹き飛んだ。
酒乱の父と、布団の中の俺
俺の父は、酒乱だった。酔うと暴れ、家や物を壊す父。幼い俺は、その怒声と破壊音に怯え、布団を頭まで被って、耳を塞いで震えていた。
「じっとしていれば終わる」「気配を消せば、殴られない」「僕が我慢すればいいんだ」
そうやって嵐が過ぎるのを待つのが、俺の生存戦略だった。今でも、あの夜の畳の匂いと、隣で震えていた姉の肩の感触だけは、はっきり覚えている。
俺はまだ「鎧」を着ていた
宇野ゆうかさん(@YuhkaUno)という方が教えてくれた。俺は「アダルトチルドレン」なのだと。
機能不全家族で育ち、子供らしい安心感を得られないまま大人になった人たち。俺は、あの頃身につけた「サンドバッグ役という鎧」を、大人になった今も脱げずにいたのだ。
妻の暴言に言い返さない俺。息子の暴力に、無抵抗で耐える俺。それは「優しさ」でも「愛」でもなかった。ただ、「耐えていれば丸く収まる」という、子供の頃の恐怖体験を再生産していただけだったのだ。
息子は俺を見て「学習」していた
一番恐ろしい事実に気づいた。息子が暴力を振るうのは、俺が「殴られても平気な顔をして受け入れているから」だ。
「親父はサンドバッグにしていい存在だ」。息子にそう刷り込んだのは、他でもない、この俺の「耐える姿勢」だった。
俺は被害者ぶっていたが、この「負の連鎖」を断ち切らなかったという意味では、共犯者だったのかもしれない。
子供の頃の自分を助けに行く
「今の大人になった親父キャプテンさんが、子供の頃の自分を助けに行ってあげてください」
宇野さんのこの言葉が、今の俺の道標だ。もう、サンドバッグ役は降りる。妻であれ息子であれ、俺の尊厳を傷つけることは許さない。それが、あの時布団で泣いていた俺を救うことであり、結果として息子に「人としての境界線」を教えることになる。
長い戦いになるだろう。でも、今日、原因がわかった。敵は「息子の反抗期」だけじゃなかった。俺の中に住み着いた「過去の亡霊」だったんだ。
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