【第40話】公園のスパーリングと1300円のマイクラ。回復期の息子に「庭師」としてどう対峙するか

先日、久しぶりに胃の痛くなるような光景を目にした。

地元の公園。高校生が5、6人集まり、ボクシンググローブをつけてスパーリングのような真似事をしている。

その中心に、私の息子がいた。

野球部の子も混じっていたが、手には怪しげな器具。おそらくシーシャ(水タバコ)だろう。

近隣住民に通報されれば、即補導だ。息子だけならまだしも、甲子園を目指す野球部の仲間まで巻き添えになれば、取り返しのつかないことになる。

「俺が止めるべきか?」

「いや、ここで親が出ていけば、また彼は暴れるのか?」

経営者として、リスクマネジメントの観点で見れば「即時介入」が正解だ。しかし、不登校と家庭内暴力を経て、ようやく学校に行き始めた「回復期」の息子に対し、親としての正解が見えない。

助手席の沈黙と高速道路

「今日は父さんの車で帰るか?」

妻の問いかけに、息子は意外にも「うん」と頷いた。

2ヶ月ぶりに息子を助手席に乗せ、高速道路を走る。かつては、泥だらけのユニフォームを着た彼を乗せ、今日の練習内容やバッティングの課題について熱く語り合った空間だ。

しかし今、隣にいるのは、半日公園でボクシングごっこに興じ、シーシャを吹かした息子だ。

同じ車、同じ道、同じ親子。

だが、その意味合いは残酷なほどに変わってしまった。

ハンドルを握りながら、私は無力感に苛まれていた。

この沈黙は、成長のための「タメ」なのか。それとも、堕落への加速なのか。

「良き友」と「悪き友」の綱引き

彼を取り巻く環境もまた、カオスの中にある。

地元の幼馴染――小学校からの親友は、息子の状況を案じ、LINEをくれた。

「シーシャなんて捨てろ。マイクラやろうぜ」

健全な誘いだ。ゲームの世界でもいい、彼と繋がっていてほしいと願う友がいる。

息子は私に、マイクラへの課金方法を聞いてきた。何度教えても上手くいかないので、結局、私のクレジットカードで1300円を決済してやった。

これは甘やかしだろうか。1300円で、彼が「良き友」との繋がりを保てるなら安い投資だ――そう自分を正当化する自分がいる。

一方で、野球部のチームメイトからは「宿題の範囲」を知らせるLINEが届いていた。

必死に彼を部活に戻そうとしてくれる仲間たち。

だが、息子はその通知を無視し、宿題もせずに眠りについた。

聞こえてくるのは、以前彼が会いに行ったガードマンのような「アウトローな大人」や、悪い遊びを教える友人の影響ばかりだ。

朱に交われば赤くなる。

今の彼は、真っ白なユニフォームではなく、ド派手な私服に着替えようとしているように見える。

「大工」ではなく「庭師」であれと言うけれど

アメリカの心理学者、アリソン・ゴプニックは言った。

親は、子供を設計図通りに組み立てる「大工」ではなく、植物が育つ環境を整える「庭師」であるべきだと。

頭では分かっている。

以前のような、素直で、私の言うことを聞き、ひたむきに白球を追う息子に戻ってほしいというのは、私の「大工」としてのエゴだ。

だが、「庭師」として、毒草が生えようとしているのを黙って見ているのが正解なのだろうか。

悪い噂はすぐに広まる。地方の狭い社会なら尚更だ。

「変な友達と付き合うな」と一喝するのは簡単だ。だが、それで彼が再び心を閉ざし、部屋に引きこもれば元も子もない。

弱っているから、虚勢を張って悪ぶっているだけなのかもしれません。

今は、肥料をやりすぎず、かといって枯らさず、じっと耐える時期なのか。

ビジネスなら損切りやピボットができる。

だが、親業に損切りはない。

今はただ、1300円のマイクラが、彼をこちらの世界に繋ぎ止める細い糸になることを祈るしかない。

親父のスコアブックは、まだ黒星が続いている。

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