親父の奮闘記|第46話
息子は、部活動へ戻ることができた。
一気に元どおりになったわけではない。休む日もはさみながら、少しずつ活動している。
そんな中で迎えた、新チームの新人戦の日。
息子は、試合には出なかった。
出場という結果だけを見れば、いろいろな言葉を足したくなる一日だった。けれど、その日の自分が残しておきたいのは、結果だけではない。
親子それぞれに、一言では片づけられない思いがある。
それでも自分は、息子がその場にいられたことを、支えてくれる仲間やチームへの感謝と一緒に覚えておきたい。
- 部活動へ戻る確認できた事実
- 休みながら進む頻度や理由は補わない
- 新チームの大会試合には出なかった
- チームの中にいる支えへの感謝
休みながらも、部活動へ戻れた
「復帰」という二文字だけを見ると、ひとつの区切りを越えて、その先はまっすぐ進むように見えるかもしれない。
けれど、今の自分が見ているのは、そんな一直線の物語ではない。
戻れた日がある。休む日もある。そして、またチームの中にいる日がある。
詳しい事情を、この記事で説明することはしない。そこを推測しても、息子の一日を正しく書いたことにはならないからだ。
大切にしたいのは、戻れたという事実を、今後の保証へ変えないことだと思っている。
新チームの大会で、試合には出なかった
新チームの大会の日、息子はチームと同じ場にいた。
そして、その試合には出なかった。
出場しなかった理由は書かない。選考や能力、指導者の判断、本人がどう受け止めていたかを、自分が外から埋めることもできない。
親子それぞれに、簡単には言葉にできない思いがある。それは確かだ。ただ、その中身までひとつの説明にまとめてしまえば、息子の本心を親が代わりに決めることになる。
自分は、その日の事実を二択にしたくない。
- 部活動へ戻れたのだから、次は試合に出て当然
- 試合に出なかったのだから、また後ろへ戻った
どちらも、確認できた事実より先へ進んだ見方になる。
試合には出なかった。それでも、チームの中にはいた。
この一日を振り返るとき、自分は片方を消さずに両方を置いておきたい。

支えてくれる人たちがいて、その場にいられた
自分がこの日に深く感じたのは、仲間とチームへの感謝だった。
誰が何を言ったのか。どんな行動で支えてくれたのか。そこを自分の想像で場面にするつもりはない。
それでも、息子がみんなに支えられ、チームの一員としてその場にいられた。そのことを、自分はありがたいと思った。
試合に出たかどうかは、外から見ても分かりやすい。名前が呼ばれたか、グラウンドに立ったか、打席や守備に入ったか。結果として目に見える。
一方で、チームの中にいられたことの重さは、数字にはしにくい。
だからこそ、出場の有無だけでその日を塗りつぶしたくない。
チームが息子のすべてを解決した、と書くこともできない。息子自身が何を感じたのかを、感謝の物語へまとめることもできない。
ここで書けるのは、自分の受け止めだけだ。
親にいいところを見せたかったのかもしれない
試合には出なかった。
いいところを見せたかった気持ちもあったのかもしれない。
親としては、息子にも、自分たちへいいところを見せたかった気持ちがあったのかもしれないと思う。
ただし、本人がそう話したわけではない。
ここから先は、息子の本心ではなく、親である自分の受け止めだ。
試合に出なかったという事実のそばに、親の期待や想像を置くと、それが本人の気持ちだったように見えてしまう。
「きっと悔しかった」「本当は出たかった」「親に見せたかった」。そう言い切れば、話は分かりやすくなる。
けれど、分かりやすさと事実は同じではない。
自分に見えていないことを、息子の言葉として完成させない。その線は越えないでおきたい。

親も我慢する。けれど、それを正解にはしない
この日は、自分も我慢する一日だった。
何をどう我慢したのかを、ここで都合よく補うつもりはない。息子の気持ちを先回りして決めないことと同じように、親の我慢もきれいな場面にはしない。
我慢すれば、すべてが良い方向へ進むわけではない。
親が我慢することが、ほかの家庭にも当てはまる正解だと言いたいわけでもない。
ただ、自分たち親子には、その日に抱えた複雑な思いがあった。息子だけではなく、親にも言葉にしきれないものがあった。
それでも、出場しなかったことだけを大きくして、チームの中にいられた事実や、周りへの感謝を小さくしたくなかった。
自分がこの日にできたのは、結論を急がず、試合に出なかった一日を、そのまま受け止めることだった。

小さな壁も、大きな壁も、今日一日で評価しきらない
部活動へ戻るまでにも壁があった。
戻ったあとも、休みながら進む日々がある。
そして、新チームの大会の日には、試合に出ないという一日があった。
壁には、小さく見えるものも、大きく見えるものもある。ただ、その高さを外から決めることはできない。
自分は、一つずつの壁から、親子で学ばせてもらっていると感じている。
これは、順調に進んでいるという証明ではない。息子がこれからどうするか、次の試合でどうなるかも分からない。
だから今日の一日を、未来の成功や失敗へつなげて評価しきらない。
自分が残しておきたいのは、次の二列だけだ。
🟦 今日、確認できた事実
部活動へ戻り、休む日もはさみながら活動し、新チームの大会で試合には出なかった。
🟨 親である自分の受け止め
その場にいられたことと、支えてくれる仲間やチームをありがたく思った。
もし同じように、結果だけでは言い表せない一日を抱えている親がいるなら、自分への記録として「確認できた事実」と「自分の受け止め」を一行ずつ分けて書く方法はある。
ただし、これは子育ての処方ではない。今の自分が、息子の本心を決めずに一日を振り返るための方法だ。
息子にとっては、親にいいところを見せたかった一日だったのかもしれない。
けれど、それは自分の受け止めであって、本人の言葉ではない。
自分も我慢した。親子それぞれに複雑な思いがあった。
それでも、その場にいられた。
仲間とチームに支えてもらった。
今日は、その事実と感謝を、静かに残しておきたい。

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