午後の判断が、なぜか雑になる
自分は経営者になってから、ずっと不思議に思っていたことがある。
朝一番に決めた採用の可否、価格改定の判断、取引先への返答。同じ重さのはずの決断なのに、午前中に下したものと、夕方バタバタと下したものとでは、後から見返したときの納得感がまるで違う。夕方の決断ほど「なんであの時イエスと言ってしまったんだろう」と後悔することが多い。
長年、これは単純な「疲れ」の問題だと思っていた。野球をやっていた頃も、延長戦の終盤になると集中力が切れて、普段なら見逃せる甘い変化球に手を出してしまうことがあった。だが最近になって、これが気合いや根性で解決できる話ではなく、脳のリソース配分の問題として研究されていることを知った。
仮釈放の可否を分けたのは「審査の順番」だった
最も衝撃を受けたのは、イスラエルの仮釈放審査を対象にした研究だ。スタンフォード大学のジョナサン・レヴァヴと、ベン=グリオン大学のシャイ・ダンジガーらの研究チームが、裁判官による仮釈放の可否判断を大量に分析した。
結果はこうだ。朝一番、審査が始まった直後の受刑者は、約65%が仮釈放を認められていた。ところが審査が進むにつれてこの許可率はどんどん下がっていき、休憩の直前にはほぼゼロ近くまで落ち込む。そして裁判官が休憩を取って戻ってくると、許可率は再び65%まで回復する。
出典: Danziger, Levav, Avnaim-Pesso (2011)「Extraneous factors in judicial decisions」(米国科学アカデミー紀要 PNAS掲載)

これは受刑者の内容が悪くなったわけでも、裁判官の性格が変わったわけでもない。単純に「判断を繰り返した回数」によって、判断そのものの質が落ちていたという話だ。学術的にはこの現象を「ディシジョン・ファティーグ(決断疲れ)」と呼ぶ。
自分はこれを読んで、正直ゾッとした。自分がこれまで下してきた経営判断のうち、いったいどれだけが「疲れて雑になった65%」の外側で下されたものだったのか、と。
医療現場でも同じ「後半の質の低下」が起きている
この現象は司法の世界だけでなく、医療現場でも確認されている。医師の処方判断を調べた研究では、勤務時間の後半になるほど抗生物質の処方率が上がる傾向が報告されている。本来なら不要なケースでも、判断を丁寧に詰める余力がなくなり、「とりあえず出しておく」という安全側・省エネ側の選択に流れやすくなるということだ。
同様に、整形外科医が手術を実施するかどうかの意思決定についても、勤務シフトの後半になるほど「実施する」という決定が減っていく傾向が報告されている。これも判断の中身が変わったのではなく、判断を下すエネルギーが枯渇していく過程で、より労力の少ない選択肢(手術をしない、様子を見る)に流れやすくなるためだと考えられている。
裁判官も医師も、日本語で言えば紛れもない「プロ」だ。それでも判断力は有限のリソースであり、使えば減っていく。経営者だから例外ということはあり得ない。
なぜ判断は「消耗」するのか
この現象の理論的な背景にあるのが、心理学者ロイ・バウマイスターらが提唱した「自我消耗(エゴ・デプリーション)」という考え方だ。人間の自己制御力、つまり「衝動を抑えて、より良い選択をする力」は、筋肉と同じように有限のリソースであり、使うたびに消耗していく、という理論だ。
出典: Baumeister et al. (1998)「Ego depletion: Is the active self a limited resource?」
意思決定は、まさにこの自己制御力を使う行為そのものだ。「何を着るか」「何を食べるか」「誰にどう返信するか」といった小さな選択の一つひとつが、同じタンクからエネルギーを引き出している。だから、些細な判断を積み重ねた後の「本当に重要な判断」は、タンクが空に近い状態で下されることになる。
野球で言えば、これは体力の消耗とよく似ている。9回のマウンドに立つ抑え投手は、球威そのものは1回に投げるボールとそう変わらないかもしれない。だが、そこに至るまでの緊張と集中の総量が、最後の一球のコントロールを左右する。経営における意思決定も同じで、「今日何個目の決断か」が、その決断の質に直結している。
「小さな判断」を減らすという発想
ここで重要なのは、根性論で「疲れないようにしよう」と考えないことだ。疲れは避けられない前提として、「重要な判断に使うエネルギーをどう温存するか」を設計の問題として考える必要がある。
具体的には二つのアプローチがある。
一つ目は、重要な判断を「エネルギーが残っている時間帯」に寄せること。自分の会社では、採用の最終判断や大きな契約の可否といった重い意思決定は、できる限り午前中の早い時間に固定するようにしている。逆に、資料の体裁確認や軽微な社内調整といった「消耗しても構わない判断」は午後に回す。
二つ目は、そもそも判断の総数を減らすことだ。経理処理や請求書発行のような定型業務は、クラウド会計ソフトのようなツールに任せて自動化すれば、そこで発生するはずだった無数の小さな判断そのものを消してしまえる。判断の数を減らすことは、判断力を鍛えることよりずっと即効性がある。
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4番打者に必要だったのは「気合い」ではなく「準備」
自分が4番を任されていた頃、打席に入る前のルーティンを一切崩さないようにしていた。バットを握る位置、素振りの回数、ベンチを出るタイミング。これは験担ぎというより、打席という「一番重い判断の場」に立つ前に、余計な判断をあらかじめ全部済ませておくための作業だったのだと、今なら分かる。
打席に立ってから「どのタイミングで足を上げるか」「どこに重心を置くか」を考えていたら、もう間に合わない。それらは全部、無意識でできるところまで体に染み込ませておく。そうして初めて、投手の球種とコースという「本当に一球ごとに判断すべきこと」だけに、限られた集中力を使うことができる。
経営における日々の小さな決断も、本来はこの「ルーティン化」で片付けられるものが多い。何にリソースを割くか、どこを仕組みで済ませるかを見極めることこそが、終盤でも崩れない打席を作る技術なのだと思う。
まとめ:判断力は根性では守れない
決断疲れは、気合いや経験でどうにかなる話ではなく、脳のエネルギー配分という物理的な制約の話だ。だからこそ、重要な判断を良いコンディションの時間帯に集め、些細な判断はできる限り仕組みやツールに預けてしまう。これだけで、夕方に下す決断の質が変わってくる。
自分は今日も、重い判断は午前中に済ませてしまうつもりでいる。夕方の自分は、もう9回のマウンドに立つ体力しか残っていないからだ。
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