親父の奮闘記|第47話
息子は、自分で練習へ行くと決めた。
自分が見た範囲では、守備の動きを繰り返し、声も出していた。家で過ごす姿だけでは分からなかった時間が、そこにあった。
同じ時期に、私は以前願いを伝えた神社やお墓へ行った。今度は新しいお願いを重ねるためではなく、これまで支えてもらったことへの感謝を伝えるためだった。手を合わせると、胸がいっぱいになった。
願いと誓いを残した、二つの過去
先が見えなかった頃、私は神社と墓前へ足を運び、息子のために力を貸してほしいと願った。
別の日には墓前で、この子を守り抜くので見ていてほしいと、親としての覚悟を心の中に置いた。
いま振り返ると、その願いには息子への心配だけでなく、自分の野球や母校への期待も混ざっていた。息子のための願いと、親が望んでいた道を、当時の自分は十分に分けられていなかったのだと思う。
この二つの場面があったからこそ、今回は親が先に望む答えを決めず、息子自身の選択を待ちたかった。
行かない選択も残し、最後の判断を渡した

練習へ行くかどうか。行かない選択肢も残し、本人が決めるのを待った。
最後に参加すると決め、実際に練習へ向かったのは息子だった。
それでも、待った自分を正解にしたくはない。親の接し方を成功談にすれば、息子の決断なのに、いつの間にか親が主役になってしまう。
自分が受け取りたいのは、息子が一回の練習を自分で選んだことだ。その一回へ、次回の約束まで背負わせたくなかった。
親が見たのは、守備の動きと声

練習の場で、息子は守備の動きを自分でも繰り返し、声を出していた。
家で過ごす姿だけを見ていた自分には、見えていなかった取り組みだった。
少しでも前へ進もうとしているように、親の自分には見えた。いつか成長した姿を、支えてくれた人たちへ見せたい気持ちもあるのかもしれない、とも感じた。
そう見えたのは確かだが、その気持ちを本人から聞いたわけではない。目の前にあった動きと声は大切にしながら、その先の心まで親が決めないようにしたい。
- 本人が決めたこと:練習へ参加すると選んだ。
- 親が見たこと:守備の動きと声があった。
- 親が感じたこと:支えへの感謝と、胸がいっぱいになる思いがあった。
願った場所へ、今度は感謝を伝えに行った
自分たちだけでここまで来たとは思っていない。本人と家族のそばにいてくれた人たちへ感謝し、墓参りをして、神社でもこれまでの支えへの感謝を伝えた。
手を合わせていると、親として胸がいっぱいになった。
ご先祖に見守られてきたように、自分は感じている。ただ、あの日の参拝が息子を練習へ向かわせたとは思っていない。
感謝を伝えた時間は、息子の一歩の理由ではなく、その一歩を見た自分の気持ちを静かに置いてくる時間だった。
この一回を、次の義務に変えない
生活と活動の両立は始まったばかりだ。これで何もかも戻ったわけではなく、次も同じように進むとは限らない。
次に足が止まる日があっても、今回の選択は消えない。反対に、次も参加できたとしても、親が早く物語を完成させる必要はない。
過去の願いと誓いは、なくならない。その続きに、息子が自分で選んだ一回と、親が支えへの感謝を伝えた時間が加わった。
この物語の伏線を回収したのは、願いの力ではなく、息子が自分で選んだ一歩だった。
親がいま出来るのは、その一回を次の義務へ変えず、一回分の出来事として受け止めることだと思っている。

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