「最低賃金が全国平均1,176円になる」という報道を見て、すぐに給与を変更すべきか迷っている中小企業経営者も多いはずです。
結論から言うと、1,176円は各都道府県で確定した最低賃金額ではありません。2026年7月28日に中央最低賃金審議会が示した引上げ目安を、全都道府県がそのまま採用した場合の全国加重平均です。
ただし、「まだ確定していないから何もしなくてよい」という意味でもありません。賃金台帳の点検、月給者の時間額換算、人件費増加の試算、助成金の申請準備、価格交渉の資料作成は、確定前でも始められます。
経営者が今すぐ確認したいのは、次の5項目です。
- 自社の事業場で適用される確定額と発効日
- 最低賃金の計算に含める賃金と除外する手当
- 時給・日給・月給ごとの時間額換算
- 賃金表、給与設定、人件費予算への影響
- 業務改善助成金と価格転嫁の準備
この記事では、2026年7月29日時点の厚生労働省、経済産業省、公正取引委員会の公表資料をもとに、ニュースの読み方から実務上の確認手順まで整理します。
この記事は一般的な制度情報を整理したものです。実際に適用される地域別最低賃金、特定最低賃金、手当の扱い、助成金の対象可否は、事業場を管轄する都道府県労働局、労働基準監督署、助成金窓口、社会保険労務士などへ確認してください。
結論:1,176円は「全国一律の確定額」ではない
2026年度の地域別最低賃金について、中央最低賃金審議会が示した引上げ目安は次のとおりです。
| ランク | 都道府県数 | 引上げ目安 |
|---|---|---|
| Aランク | 6 | 54円 |
| Bランク | 28 | 56円 |
| Cランク | 13 | 56円 |
すべての都道府県が目安どおりに引き上げた場合、全国加重平均は1,176円となり、引上げ額は55円、引上げ率は4.9%になります。
ここで注意したいのは、1,176円が全国の会社に共通して適用される時給ではないことです。全国加重平均であり、自社の最低賃金として給与計算へ直接入力する数字ではありません。
今後は各地方最低賃金審議会で調査・審議が行われ、都道府県ごとの最低賃金額が決まります。経営者が給与設定に使うのは、最終的に公表される自社事業場の所在地に対応した金額と発効日です。
中央最低賃金審議会の答申は、労働者側と使用者側が一致して決めたものでもありません。答申PDFには、労使の意見が一致しなかった経過が記載されています。
これは目安が無効という意味ではありません。一方で、企業側の負担や賃上げを支える環境整備に課題が残っていることを示しています。答申でも、中小企業・小規模事業者が継続的に賃上げできるよう、政府に十分な支援策を講じることが求められています。
現時点での受け止め方は次のとおりです。
- 1,176円を自社の確定額として扱わない
- 都道府県ごとの決定を待つ
- 55円前後の上昇を想定した試算は始める
- 最終的な給与変更は、適用額と発効日を確認して行う
確定前は複数の想定で準備し、確定後に数字を差し替える。この二段階に分ければ、ニュースに振り回されにくくなります。
確認項目1:自社に適用される確定額と発効日を特定する
最初に確認するのは、ニュースに出ている全国加重平均ではなく、自社の事業場に適用される最低賃金です。
社内の確認表には、少なくとも次の欄を用意します。
| 確認欄 | 記入する内容 |
|---|---|
| 事業場 | 店舗、工場、営業所など |
| 所在する都道府県 | 地域別最低賃金を確認する単位 |
| 現行最低賃金 | 現在適用中の時間額 |
| 2026年度確定額 | 地方審議後の公表値 |
| 発効日 | 新しい金額が適用される日 |
| 特定最低賃金 | 対象業種等への該当可能性 |
| 確認元・確認日 | 労働局などの公式情報と確認日 |
複数の都道府県に事業場がある会社では、本社所在地の数字だけを全社へ当てはめないようにします。事業場ごとに所在地、適用額、発効日を整理してください。
特定の産業には、地域別最低賃金とは別に特定最低賃金が関係する場合もあります。該当可能性がある会社は、都道府県労働局や労働基準監督署へ確認する必要があります。
この段階で起きやすい失敗
一つ目は、全国加重平均の1,176円をそのまま給与システムへ登録することです。
二つ目は、確定額だけを確認し、発効日を記録しないことです。金額と適用開始時点はセットで管理しなければ、給与計算の切替時期を誤るおそれがあります。
報道記事やSNSだけを根拠にせず、最終確認は厚生労働省や都道府県労働局の公表情報で行います。
確認項目2:最低賃金に含める賃金と除外する手当を分ける

最低賃金を確認するとき、給与明細の総支給額を労働時間で割るだけでは不十分です。
厚生労働省によると、最低賃金の対象になるのは毎月支払われる基本的な賃金です。実際に支払う賃金から、次のものを除いて比較します。
- 臨時に支払われる賃金
- 賞与など、1か月を超える期間ごとに支払われる賃金
- 時間外割増賃金
- 休日割増賃金
- 深夜労働の賃金のうち、通常の労働時間の賃金を超える割増部分
- 精皆勤手当、通勤手当、家族手当
たとえば、基本給に通勤手当と残業代を足した総支給額では最低賃金を上回っていても、対象外の賃金を除いて時間額へ換算すると、基準を下回る可能性があります。
「最終的に多く払っているから大丈夫」とは限りません。何を含め、何を除くのかを先に分ける必要があります。
賃金台帳で確認する順番
- 毎月支払う賃金項目を一覧にする
- 最低賃金の対象外となる項目を分ける
- 対象に残る賃金額を確定する
- 賃金形態に応じて時間額へ換算する
- 適用される最低賃金額と比較する
- 判断が難しい手当を公的窓口等へ確認する
固定残業代、複数の職務手当、歩合給など、構成が複雑な場合は自己判断で処理しないほうが安全です。
賃金規程、雇用契約書、給与明細、年間カレンダーをそろえ、都道府県労働局、労働基準監督署、社会保険労務士などへ確認してください。
失敗例:総支給額だけで判定する
総支給額は20万円を超えているため、最低賃金には問題がないはずだ。
この考え方では、通勤手当、時間外割増賃金、精皆勤手当などが混ざったままです。必要なのは、対象外の賃金を除いた後の時間額です。
賞与を12か月で割り、月給に足して最低賃金を満たしていると考えるのも避けます。
確認項目3:月給者を時間額へ正しく換算する
最低賃金は時間額で示されます。そのため、月給者や日給者についても時間額へ換算します。
時給制
時間給 ≧ 適用される最低賃金額
日給制
日給 ÷ 1日の所定労働時間
≧ 適用される最低賃金額
月給制
最低賃金の対象となる月給
÷ 1か月平均所定労働時間
≧ 適用される最低賃金額
月給者は、その月の実労働時間ではなく、1か月平均所定労働時間を使います。
1か月平均所定労働時間は、会社の年間休日や所定労働時間によって変わります。したがって、全国共通の最低月給が一つだけ存在するわけではありません。
1,176円を使った仮の月額例
仮に、時間額を1,176円、1か月平均所定労働時間を160時間と置くと、次のようになります。
1,176円 × 160時間 = 188,160円
これは計算方法を理解するための編集部の仮例です。1,176円は各都道府県の確定額ではなく、160時間もすべての会社に共通する時間ではありません。
188,160円を「2026年度の全国共通最低月給」として使うことはできません。
月給者の確認例
次の条件を仮定します。
- 最低賃金の対象となる月給:190,000円
- 1か月平均所定労働時間:165時間
190,000円 ÷ 165時間 = 約1,151.51円
この例の比較用時間額は約1,151.51円です。仮に適用額を1,176円と置けば基準を下回りますが、実際の判定では事業場に適用される確定額を使ってください。
人件費予算は複数の仮定で試算する
想定する時間額の上昇分
× 対象従業員の月間所定労働時間
× 対象人数
引上げ幅55円、月間所定労働時間160時間、対象者10人と仮定すると、直接の賃金差額は月88,000円です。
55円 × 160時間 × 10人 = 88,000円
12か月分の単純計算では1,056,000円です。
実際の影響額は、各従業員の現在の時間換算額、労働時間、確定した最低賃金によって変わります。全従業員が一律55円上がると決めつけないでください。
確認項目4:賃金表と給与設定を従業員ごとに点検する

従業員別に、次の一覧を作ります。
| 従業員 | 事業場 | 賃金形態 | 対象賃金 | 平均所定時間 | 時間換算額 | 新最低賃金との差 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| A | 店舗1 | 時給 | ― | ― | 入力 | 自動計算 |
| B | 店舗1 | 月給 | 入力 | 入力 | 自動計算 | 自動計算 |
| C | 工場1 | 日給 | 入力 | 1日分を入力 | 自動計算 | 自動計算 |
確定前は、新最低賃金欄へ仮の目安額を入れ、「試算」と明記します。都道府県の確定額と発効日が公表されたら、その欄だけを更新できる形にします。
最低賃金だけでなく賃金差も見る
最低賃金の直下にいる従業員だけを引き上げると、経験年数や役割が異なる従業員との賃金差が小さくなる場合があります。
確認するのは次の点です。
- 新人と経験者の時給差が極端に縮まらないか
- リーダー手当や職務手当が役割差を表しているか
- 採用時給と既存従業員の時給が逆転しないか
- 月給者の時間換算額に見落としがないか
- 人件費増加を事業計画で吸収できるか
最低賃金対応は守備ラインの確認です。一方で、賃金表全体はチーム編成に近いものです。最低ラインだけを動かすと、別の場所にひずみが出ることがあります。
給与変更までにそろえるもの
- 対象者一覧
- 現行の賃金台帳
- 雇用契約書または労働条件通知書
- 就業規則、賃金規程
- 年間休日カレンダー
- 1日の所定労働時間
- 1か月平均所定労働時間
- 給与計算システムの設定値
- 変更後の賃金表
- 発効日を踏まえた切替日
- 従業員への説明内容
個別の変更方法は社会保険労務士や労働局等へ確認してください。
確認項目5:業務改善助成金と価格転嫁を同時に準備する

2026年度の業務改善助成金は、生産性向上につながる設備投資等を行い、事業場内最低賃金を一定額以上引き上げた場合に、その費用の一部を助成する制度です。
2026年度は50円、70円、90円の引上げコースがあり、引上げ額や対象労働者数などで助成上限額が変わります。最大600万円の区分もありますが、すべての申請者が600万円を受け取れるわけではありません。
助成される金額は、対象費用へ助成率を適用した額と助成上限額のうち低い方です。
助成率は、引上げ前の事業場内最低賃金が1,050円未満の場合は5分の4、1,050円以上の場合は4分の3です。
申請、賃上げ、事業完了の3期限を分ける
2026年度の交付申請受付は9月1日に始まり、申請期限は、申請事業場に適用される地域別最低賃金の発効日の前日です。
賃上げは、申請後から「地域別最低賃金の発効日の前日」または「2026年11月30日」のいずれか早い日までに行う必要があります。
設備の納品・支払い・賃上げを含む事業完了期限は、原則として交付決定が属する年度の1月31日です。
「11月30日」は申請期限ではありません。申請、賃上げ、事業完了の3期限を混同せず、最新日程を管轄の労働局等へ確認してください。
助成金で避けたい失敗
交付決定前に設備投資を行った場合や、申請前に賃上げを実施した場合は、原則として助成対象外となります。
申請、交付決定、設備投資、賃上げの順番を自己判断で入れ替えないことが重要です。予算状況による早期終了にも注意してください。
助成金だけでなく価格転嫁も準備する
中小企業庁の「価格交渉促進月間(2026年3月)フォローアップ調査」では、回答した69,625社の調査結果として、価格転嫁率は54.2%でした。
コスト要素別では、原材料費55.7%、労務費50.0%、エネルギーコスト48.9%です。これは回答企業を対象とした調査値であり、国内全企業の実測値ではありません。
公正取引委員会の労務費転嫁指針では、受注者が公表資料を根拠に価格交渉を行うこと、発注者と受注者の双方が交渉記録を作り保管することが示されています。
価格交渉資料には次をまとめます。
- 現行価格と最後の改定時期
- 対象となる商品・サービス
- 人件費上昇の公表資料
- 影響を受ける人数
- 1人当たりの想定増加額
- 商品・サービス単位への配賦方法
- 希望する改定額または改定率
- 改定希望日
- 生産性向上策
- 協議日、合意事項、次回確認日
経営者が進める3段階の行動
今日やること
- 1,176円を確定額として給与システムへ登録しない
- 事業場ごとの所在地と現行最低賃金を一覧にする
- 最低賃金に近い従業員を抽出する
- 月給者を含む賃金形態を確認する
- 助成金を検討する場合は設備を先に発注しない
確定額の発表前にやること
- 対象賃金と除外賃金を分ける
- 1か月平均所定労働時間を再計算する
- 従業員別の時間換算額を出す
- 複数の仮定で人件費を試算する
- 賃金表全体への波及を確認する
- 助成金の対象可能性を相談する
- 価格交渉資料をそろえる
確定額の発表後にやること
- 公式発表で金額と発効日を確認する
- 仮試算を確定額へ差し替える
- 従業員ごとの差額を再計算する
- 特定最低賃金の適用可能性を確認する
- 給与設定や賃金表の変更内容を確定する
- 助成金の手続順を再確認する
- 価格交渉の協議記録を残す
最低賃金1,176円に関するFAQ
Q1.全国一律1,176円で決まったのですか?
決まっていません。1,176円は、目安どおりに全都道府県が引き上げた場合の全国加重平均です。
Q2.A54円、B・C56円の引上げで確定ですか?
2026年7月28日時点では目安です。都道府県ごとの確定額は地方審議後に確認します。
Q3.月給はいくらなら最低賃金を満たしますか?
全国共通の最低月給はありません。対象月給を1か月平均所定労働時間で割り、事業場の確定額と比較します。
Q4.通勤手当や残業代を含めれば問題ありませんか?
通勤手当や時間外割増賃金などは比較から除外します。
Q5.設備購入後でも業務改善助成金を申請できますか?
交付決定前の設備投資や申請前の賃上げは原則対象外です。先に発注しないでください。
Q6.申請、賃上げ、事業完了はいつまでですか?
申請受付は9月1日からで、申請期限は地域別最低賃金の発効日前日です。
賃上げは申請後から、発効日前日または11月30日の早い日までに行います。事業完了は原則、交付決定が属する年度の1月31日です。
3つの期限を分けて確認してください。
Q7.価格交渉では何を根拠にしますか?
最低賃金の公式資料と、自社の対象人数、労働時間、増加額、価格への配賦方法を組み合わせます。協議記録も保管します。
まとめ:確定を待つのは金額、待たなくてよいのは準備
1,176円、引上げ額55円、引上げ率4.9%は、目安どおりに各都道府県が引き上げた場合の数字です。自社に適用される確定額ではありません。
今すぐ行うのは、次の準備です。
- 事業場ごとの確定額と発効日を確認できる表を作る
- 対象賃金と除外手当を分ける
- 月給者を含めて時間額へ換算する
- 人件費増加を複数の仮定で試算する
- 賃金表全体を点検する
- 業務改善助成金の申請準備を進める
- 労務費の価格転嫁資料を作る
最低賃金対応は、賃金台帳、労働時間、設備投資、価格設定までつながる経営課題です。
確定前は仮定を明記して準備し、都道府県ごとの発表後に確定額へ差し替える。この順番で進めれば、期限直前の混乱を避けやすくなります。

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