四番打者は、夜のバッターボックスで負ける。それが「睡眠負債」という敵の正体だ
決算書には載らない「隠れ負債」の話

経営者になって20年近く、毎月の試算表とにらめっこしてきた。売掛金、買掛金、借入金。数字にできる負債は、いくら怖くても対処のしようがある。返済計画を立て、キャッシュフローを整えれば、いつかは消える。
だが、去年の健康診断で突きつけられたのは、決算書のどこにも載らない負債だった。「睡眠負債」。医者にそう言われたとき、正直ピンとこなかった。寝てないわけじゃない。毎晩ちゃんとベッドには入っている。
甲子園を目指していた高校時代、四番を任されていた自分は、練習が辛い日ほど「気合で乗り切れる」と本気で思っていた。今思えば馬鹿な話だ。疲労は気合では消えない。それは筋肉痛と同じで、体の中に確実に「借金」として積み上がっていく。そして睡眠不足も、まったく同じ構造を持っている。
厚生労働省が2026年1月に公表した令和6年国民健康・栄養調査でも、30〜40代で「疲れがとれない」という悩みが目立ち、「日中眠くなる」という訴えは2022年の調査から増加が続いている。自分だけの問題じゃない。同世代の経営者仲間や、取引先の担当者と飲みの席でこの話をすると、大抵「わかる」と苦笑いされる。育児と仕事に挟まれた30〜40代は、運動習慣を持つ人の割合が全世代で最も低く、歩数も落ち込んでいるというデータもある。忙しさが健康を後回しにする構造は、業界を問わず同じらしい。
睡眠負債は「日本経済」も蝕んでいる

自分個人の話だけじゃない。この負債、スケールを国レベルまで広げても同じ深刻さで存在している。
米シンクタンクのRAND研究所が2016年に発表した試算では、日本人労働者の多くが抱える睡眠不足(6時間未満)を適正な7〜9時間に改善できれば、約1,380億ドル、日本円で約20兆円分の経済損失を防げるとされている。慶應義塾大学などの研究チームが2020年に出した別の試算でも、睡眠の問題による生産性低下は、1人あたり年間12万4,000円、日本全体では年間7兆5,000億円の損失にのぼるという。
数字の出し方によって差はあるが、共通しているのは「睡眠不足は生産性を確実に削る」という結論だ。厚労省の「健康づくりのための睡眠ガイド2023」でも、睡眠不足はプレゼンティーイズム(出社しているのに本調子が出ない状態)の主要因の一つで、その影響はメンタルヘルス不調と同等以上と報告されている。
これを会社経営に置き換えるとゾッとする。もし社員が体調不良で有給を取れば、それは「欠勤」として数字に見える。だが睡眠負債を抱えたまま出社し、集中力も判断力も落ちた状態で働く「隠れ低稼働」は、決算書のどこにも表れない。自分自身、寝不足のまま重要な商談に出て、後から見返すと明らかに詰めが甘い判断をしていたことが何度もある。それは「経験不足」でも「実力不足」でもなく、単に「寝てなかった」だけだった。
バッターボックスに立つ前に、勝負は決まっている

野球をやっていた頃、コーチによく言われた言葉がある。「打席に入る前に、もう半分は決着がついている」。素振りの量、体調管理、前日の過ごし方。バッターボックスに立った瞬間の一振りは、その日までの積み重ねの結果でしかない。
経営も同じだ。会議室で下す判断は、その日の朝の頭の回転で半分決まる。そして頭の回転は、前夜の睡眠でほぼ決まる。自分はこれを痛感してから、経営者としての自分の働き方を根本から見直した。
具体的にやったことは3つだけだ。
1. 就寝・起床時間を「経営会議」と同格の予定として固定する
以前は「今日はキリのいいところまで」とズルズル夜更かししていたが、今は22時半には仕事用のPCを閉じると決めている。取引先とのアポは調整できても、自分の脳のコンディションは調整できない。だったら先にブロックするしかない。
2. 就寝前90分はスマホを見ない
ブルーライトがどうこうという理屈より、「経営者としての最後の意思決定を、その日のうちに終わらせる」という区切りの儀式として機能している。メールやチャットを寝る直前まで見ていると、脳が「まだ仕事中」だと勘違いして眠りが浅くなる。これは何度も自分の体で試して実感した。
3. 週末の「寝だめ」に頼らない
若い頃は平日の睡眠不足を休日にまとめて解消できると思っていたが、これは平日と休日で起床時間がずれる「ソーシャル・ジェットラグ」を生み、かえって体内時計を狂わせる。平日も休日も起床時間の差を1時間以内に抑えるようにしてから、月曜の朝の重さが明らかに変わった。
「気合」で乗り切れるのは、高校球児までだ

甲子園を目指していた頃の自分は、「寝る間も惜しんで練習する」ことに一種の美学すら感じていた。だが40代の今、会社の舵を握る立場で同じ精神論をやれば、判断ミスという形で従業員や家族に跳ね返ってくる。睡眠は「弱さ」でも「甘え」でもない。経営資源そのものだ。
決算書に載らない負債ほど、静かに、しかし確実に会社と自分を蝕んでいく。もし今この記事を読みながら「最近ずっと寝不足かもしれない」と思い当たったなら、それは体からの重要な決算報告だと受け止めてほしい。数字にならないからといって、無視していい負債ではない。
今夜、いつもより30分早くベッドに入ってみてほしい。それだけで、明日のバッターボックスでの一振りが変わるはずだ。
出典
– 厚生労働省「令和6年国民健康・栄養調査」(2026年1月公表)
– 厚生労働省「健康づくりのための睡眠ガイド2023」
– RAND Corporation “Why Sleep Matters: The Economic Costs of Insufficient Sleep”(2016年)
– 慶應義塾大学等研究チームによる睡眠と生産性損失の試算(2020年)

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